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2013年 05月 13日
友人で彫刻家の真部知胤くんが作品についての文章を書いてくれました。
展示会と合わせてお読み頂ければ幸いです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「吉原くんの作品について」 吉原くんは数年前から作品の素材として木を使うようになった。 小枝から丸太までサイズはいろいろだが、いつも共通しているのは、木だけど「彫って」いないということだ。 その変わりに、表面に粘土を薄く付けてポップなカラーリングを施したり、デヴィッド・ボウイとかロックスターの写真を貼ったりなんかしている。 ところで、日本の彫刻について語るときによく用いられる言葉に「アニミズム」というものがある。自然界のあらゆるものに霊が宿ると考えることで、そこから、木石から何らかの形を彫り出すことは対象の霊性を顕在化させる行いであるとする見方が生まれる。 吉原くんは木を扱っていながら、たぶんこうしたアニミズム的感性を、自らの内に所与のものとして認めているわけではないのだと思う。だけど、全く否定したり無意味なものと看做しているわけでもなく、むしろ日常的な行為や出来事を足掛りとして、そういった感覚を取り戻したいと願っているのではないか。 例えば、彼の作品に良く登場するデヴィッド・ボウイやイギー・ポップ。表面に貼付けられたこれらのロックスターは観るものにとって、なんというか、いかにも唐突だ。この唐突さが裏付けるのは、吉原くんが彼らのことを「ただ単に好き」だということに他ならない。好きだから「貼る」。何のために?目の前に転がるなんの変哲もない木を「よいもの」にするために、だ。もっとそれっぽく、ロックスターのアウラを木へと付与するため、と言ってもいい。 これは一見、子供っぽい不毛な行いと映る。だが、木や石で作られた神仏を「偶像」といい、人々が崇拝し憧れる人物を「アイドル(偶像)」と呼ぶことや、縄文土器やある種の入れ墨にみられるように、表面に何かを施すことでマジカルな力が得られると古くから信じられてきたことなどを鑑みると、「彫らない」吉原くんの作品が、確かに彫刻の根源に触れているように思われてならない。
by yoshiharakoki
| 2013-05-13 23:58
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